「妻が願った最期の7日間」 1月中旬、妻容子が他界しました。 入院ベッドの枕元のノートに「7日間」 と題した詩を残して。。。 〈神様お願い!この病室から抜け出して、7日間の元気な時間をください。 1日目には台所に立って、料理をいっぱい作りたい。あなたが好きな餃子や肉味噌、カレーもシチューも冷凍しておくわ〉 妻は昨年11月、突然の入院となりました。すぐ帰るつもりで、身の回りのことを何も片付けずに。。。そのまま不帰の人となりました。 詩の中で妻は、2日目、織りかけのマフラーなど趣味の手芸を存分に楽しむ。3日目に身の回りを片付け、4日目は愛犬を連れて私とドライブに行く。(箱根がいいかな。思い出の公園手つなぎ歩く) 5日目、ケーキとプレゼントを11個用意して子と孫の誕生会を開く。6日目は友達と女子会でカラオケに行くのだ。そして7日目、(あなたと2人きり、静かに部屋で過ごしましょ。大塚博堂のCDかけて、ふたりの長いお話しましょう) 妻の願いは届きませんでした。詩の最後の場面を除いて。(私はあなたに手を執られながら、静かに静かに時の来るのを待つわ) 容子、2人の52年、ありがとう。
〜ひととき〜「2人の糸でんわ」 幼い少年と少女が糸でんわで名前を呼び合うシーンをテレビドラマで見て、懐かしさがいっぱい広がった。 新婚の頃、月末になると100円玉が数枚しかない日が何日かあった。夫になかなか言えなくて、糸でんわを思いついた。 「お金がないので夜のおかずは魚一匹です」 糸でんわを耳にした夫の表情がゆるみ、顔が笑った。 「赤ちゃんが出来たの」 長男の時も、次男の時も、糸でんわで告げた。2人だけの世界があった。 介護施設にいる夫は、頷くことも、ことばを紡ぐことも出来ない。あの頃のことを思い出して、糸でんわを作った。 夫の耳に当てて、話しかけてみるけど何の反応もない。 「もしもし」と言ったら肩を動かして下さい。 「明日また来るからね」と言ったらうなずいて下さい。 「じゃあね」と言ったら少しでいいから手を振って下さい。 でも……と、私は思った。ことばが出るようになったら、夫は最初に「おれのこと、随分子ども扱いしていたね」と笑うだろう。そうしたら、私は糸でんわの紙コップが破れるくらいの大声で笑い返そう。
この記事へのコメントはありません。